2009年7月9日木曜日

アフガン人の死とマイケル・ジャクソンの死

nationbooks

トムディスパッチ・コム 抗主流メディア毒・常備薬

トムディスパッチは、911後のわたしたちの世界をより深く理解し、帝国的な地球が現実にどのように動いているかを明確に認識したいと願う万民のためのメディア。サイト開設・編集者:トム・エンゲルハート、執筆者リスト、トムあてEメール・フォーム

200977日投稿

トムグラム: アフガン人は生きるに値すると認められているのか

原文: Tomgram: Are Afgan Lives Worth Anything

わたしたちの知らない(あるいは知ろうとしない)ことがわたしたちを傷つけるだろうか?

マイケル・ジャクソンの死を悼み、アフガン人の死を無視

――トム・エンゲルハート

あれは爆発だった。わたしの娘の結婚の話である。自分の子どもがあれほど幸せに見えることは、そう滅多にない。わたしはパーティ族ではないが、齢64歳の足を棒にして踊った。娘を式場へとエスコートしたとき、あるいは飲み食いしていたとき、あるいは友人らと語らっていたとき、あるいはただゆったり座って、若くて元気な人たちが楽しんでいるのを見つめていたとき、わたしは、アフガン人の結婚式のこと、“爆発”が比喩表現ではなく、花嫁、花婿、参列者たちが祝祭のさなかに命を落とすことを考えていたと言い張ることはできない。

だが、その後の2週間、そのことが――あるいはむしろ、わたしたちの世界が遠隔地の帝国戦争における民間人の死に関心を示していないことが――わたしの念頭にある。それもすべて、ジャーナリストのアナンド・ゴパルによる衝撃的な記事の一節がわたしをとりこにしたからだ。プログレッシヴ誌6月号の記事「アフガン人村落の絶滅」に、ゴパル記者は、彼が訪れた、東部のラグマン州のアフガン人村落、ガーロックについて書いている。破壊的な米軍による襲撃のあと、絶望した住民たちがひたすら荷をまとめ、追放の身となってアフガンやパキスタンの難民キャンプに向かったと、ゴパルは伝えている。

20088月のある夜明けがた、米軍ヘリがガーロックに降下して、6時間におよぶ襲撃が始まったと、ゴパルは書く――

「米軍は、彼らの去り際に銃撃があったと主張する。村人らはそれを否定する。それでも、米兵らが去ったあと、米軍爆撃機が村を急襲し、一軒の家屋に爆弾を落とした。それは、棒のようにやせしおれた老人、ハイジ・カディルが所有するものであり、彼は結婚祝賀会で40人以上の縁者をもてなしていた。爆弾は家屋を真っ二つにし、カディルの家族12人を含め、16人を殺害し、もっと多くのものを傷害した……マレク(首長)は州知事のもとに赴き、わが村民を保護するのだ、そうしなければわれわれは米軍に敵対することになると、断固として警告を言い渡した」

その一節がわたしの目を捉えたのは、200111月にブッシュ政権がアフガニスタンを侵略してからこのかた、アメリカの軍事行動によって、全体的に、あるいは部分的に破壊された結婚祝賀会の記録を試みてきた者としては、わたしの知るかぎり、わたしが米国で唯一の人間であるからだ。わたしの計算では、ガーロックからのゴパルの報告をもって、その数は5件になる(うち、明確な文書記録に残されたものは3件のみ)。

最初のものは、侵略した年の12月、別のアフガン人の小村落で起こったものであり、報道によれば、爆撃機B-521機およびB-1B2機が精密誘導兵器を使って、祝宴の112人のうちの110人を殺してしまった。2004年には、結婚祝賀会が――米軍機により――やはりズタズタにされたできごとが少なくとも1件、シリア国境の近くであった。その大量殺戮(さつりく)の直後、アメリカの将軍がメディアの質問に対して「一番近くの文明から80マイル離れて結婚式を催すために……砂漠の真ん中に何人の人が行くだろうか?」と問い返した。後ほど、アメリカの別の将軍が、事故が認定されたのを受けて、「なんらかのタイプの祝祭が行われていたかって?……確かに。悪者どもが祝いをやっている」と言った。これにて、一件落着。

おそらく、アフガニスタンにおけるほぼ8年間の戦争に照らして、結婚祝賀会の犠牲の数は穏当であるように思えるかもしれない。1年に1件にも満たないのだ! だが、その数をよしとして、明らかに少ないのだから、この国ではニュースの大見出しの値打ちがないと思う前に、そのように信じる理由がないことを忘れないでおこう――

*わたしは、アフガンの結婚式殺戮にたまたま言及している英文記事をすべて見た――たとえば、ゴパルが書いた事件は、他には報じられていない。

*他の結婚式殺戮は、わたしの読める言語では記録されていない。

*パシュトゥーン族の住む農村僻地では、結婚祝賀会に対する米軍の攻撃がまったくニュースになっていないかもしれない。

じっさい、婚礼――30年間にわたり、祝い事がほとんどなかったアフガン人の世界では稀な祝祭のとき――が米軍機や急襲部隊に襲われたことが何件あるのか、誰にもわからない。

過去の頁を閉じる

オバマ政権が発足し、新大統領がアフガン戦争のアメリカ側のチップを倍賭けしたあと、評論界で(また軍部内ですら)アフガニスタンが「帝国の墓場」になるのではないかという懸念の声がある程度あがった。もちろん、米国がまさにそのような帝国であるとはワシントンのだれも思ってはいなくて、ただわが国が過去の帝国の運命に苦しむのではないかというのである。

だが、結婚祝賀会に限っていえば、この前のアフガンの墓石に葬られた帝国との相似点がいくつか浮かび上がってくる。ソ連は、もちろん、いま米国が戦っているイスラム聖戦士そのものに敗北を喫した。CIA、サウジアラビア、それにパキスタン情報局による寛大な援助のおかげである。1989年、ソ連は敗北のうちに同国から撤退し、1991年に本国が絶壁を転げ落ちた。回数や頻度は知りようもないが、偶然にも、ロシア人たちもまた明らかにアフガン人の結婚祝賀会を粉砕するのを常習にしていた。

クリスチャン・キャリルは、先日、ワシントン・マンスリー誌のソヴィエト=アフガン戦争に関する本の書評に次のように書いた――

「ソヴィエトの一兵士は、彼の部隊が“ムジャヒディン〔イスラム戦士〕隊列”と認めた集団に発砲した1987年のできごとを回想する。まもなくロシア人たちは、村から村へと移動する結婚祝賀集団を殺戮してしまったことに気づいた――まさしく予想どおりに、地域内の赤軍に対する一連の襲撃を招いた大失策だった。今日、同国内における欧米勢力の政治問題の主要な原因とひとつにしばしばあげられている“巻き添え被害”の影響を押さえ込もうと苦闘している米国やNATOの指導部(およびアフガン政府高官)にとって、これは、疑いなくうんざりするほどお馴染みのものである」

ところで、わたしに、結婚祝賀会に対置されるあの陰気な儀式、葬儀に言及させないでほしい。わたしですら数えてはいないが、アフガニスタンで、米国とその同盟軍が葬礼を粉砕していないというわけではない(また最近では、パキスタンでもCIAの無人航空機によってそうしている)。

ひとりの男の死を巡って、ほぼ2週間、米国(および世界の)メディアが暴走し、その間、たとえばNBCは、マイケル・ジャクソンの死にすぎない――わたしはあえて「すぎない」と言う――報道に、プアリムタイムの30分間ニュース番組のうちの5分間を除く全部を割りふり、合州国の大統領がジャクソン・ファミリーに哀悼の書状を送り(そしてもっと素早く動くべきだったと非難され)、160万人の人たちが追悼式の無料チケット17000枚の抽選に登録し……はて、どうして延々と続ける必要があるのだろう? サバイバー〔TVの生き残りゲーム番組〕の次回シリーズで孤軍奮闘しているのでなければ、あるいはなぜかTVなしで、またはその他の現代通信手段も抜きでいるのでなければ、その続きを避けて通れない。

(つい最近までメディアに指弾されていた)マイケル・ジャクソンが死んだことを知らずにいるためには、必死の努力が必要であり、近年、アフガニスタンでわが国が次々と結婚祝賀会を粉砕してきたことを知るためには、同じように必死の努力が必要なのだ。ありふれた死――ジャクソンの――は、ほんとうはわたしたちとたいした関わりがない。他方の死は、アメリカ国民が支持し、あるいは続行を阻止しなかった終わりのない戦争の一部として、わたしたちの責任であり、あるいはそうあるべきものなのだ。それなのに、一方は声高な世界のビッグニュースであり、他方は気づかれないままである。

みなさんは、じっさいのところ、どこかに小さな記事の余地があるかもしれないと思われるかもしれない。花嫁、花婿、縁者、祝い客は、不必要な災難の見返りに、少なくとも新聞の穏当な共同告知欄やどこかプライム・タイムのニュース番組の報道に値するのではないだろうか? みなさんは、大統領かワシントンの高官が誰かにお悔み状を送っている、わが国の爆弾やミサイルで死亡したアフガン人の家族に遺憾の意を表明するのが遅いという批判の波が高まっているかもしれないとお考えかもしれない。 

だが、真実はこうだ。アフガン人の命のこととなれば――とりわけ、正しくても正しくなくても、わたしたちの安全に関わっていると考える場合――5つの結婚祝賀会、または50名の命、2つの葬儀、または20名の命が粉砕されても、問題ではない。わが国のメディアは、特定の形態の非人道的行為――テロに対するではなく、テロの、またテロのための戦争であってきたアフガニスタンに対する米軍の航空戦――にはほんとうの注目を向けるつもりがない。

いま、わたしたちはアフガニスタンで新時代――オバマの時代――を迎えている。戦争に突入してから7年半以上たち、ほんとうのアメリカのやりかたで、わたしたちは過去の頁を閉じ、なにひとつ起こっていなかった振りをし、今度は“正しく”やる用意ができている。ついに、わたしたちはアフガン人を私たちの味方にするのだ。

わたしたちには、領地に撤退し、新規巻き直しをする準備ができている。いま米軍はアフガニスタンのパシュトゥーン族(そしてタリバン)地域へと大挙して南進し、米軍司令官たち――新しい将軍たちの大集団――は、新しい脚本によって全員一致の言葉を話している。すべては、最近、新しいアフガン司令官、スタンリー・A・マックリスタル将軍議会証言で語った「全体的対ゲリラ活動作戦」の実行に関することである。すべては、「人心掌握」に関することである(もっとも、いまだにその古いヴェトナム戦時代の表現を蘇らせなければならないが)。彼らが言うには、すべては、タリバンのゲリラを殺すことよりもむしろ「民間人の防護」に関することである。すべては、ただ着地し、ドアを蹴破り、離陸するだけでなく、形作り、浄化し、保持し、建設することに関することである。すべては、新しい「交戦規則」に関することであり、それは、航空戦は制限され、民間人に危険がおよぶことが予想される場合、(ゲリラが逃げることになっても)タリバンに対する攻撃は抑制、または中止になると謳っている。すべては、これまでの戦争の流れを反転すること、空襲や襲撃による民間人の犠牲が大勢のアフガン人を米=NATO軍部隊の敵対者の側に追いやったという事実に関することである。

たったいま南進中の海兵隊の司令官、ラリー・ニコルソン准将が象徴的にこう語った――

「われわれがここにいる理由が必ずしも敵の存在でないことを、われわれが理解しているとはっきりさせる必要がある。アル=アンバル州(イラク)の戦争で勝ち、アル=アンバルの戦争を変えたのは、敵がついに戦いにうんざりしたためではない。人びとがどっちに付くかを選び、わが方を選んだからだ……われわれはあの家を包囲し、待つ。理由はこうだ。その家を倒し、その屋内に一人の女性、一人の子ども、一家族がいれば――20名のタリバンを殺すだろうが、その女、あるいは子どもを殺すことによって、集落を失うことになる。君は、彼らには死人も同然。おしまいだ」

命の価値

しかし、あにはからんや、過去は問題になる――また、チップ支払いがない場合、アメリカ人にとってアフガン人の命は1セント銅貨の値打ちもないこと(これは結婚祝賀会抹消の記録が示していること)、これも銘記しておこう。

かつてのヴェトナム戦時代、ウィリアム・ウエストモアランド将軍は、ピーター・デイヴィス監督のオスカー賞映画“ハーツ・アンド・マインヅ――真実のプラトーン”のインタビューで、次のような有名なせりふを語っている――「東洋人は西洋人のような高い値段を命につけません。命は豊富にあります。東洋で命は安価なのです」

その当時の歳月、アメリカには、デイヴィスも含め、ヴェトナム人の命はアメリカ人の命と同じ価値があるときわめて公然と主張した人が大勢いた。アフガン戦争の歳月、アメリカ人――わが国のメディア、それにまた相対的に沈黙している公衆――は、ウエストモアランドの言葉を、戦い方であるとともに生き方としてしまった。人がそのような生き方を気取るから、たいがいのアメリカ人はアフガニスタンにおける戦争は自分たちと関係がないという振りをすることができたのだ――そして、マイケル・ジャクソンの死は、すべてなのだ。

彼が死ねば、わたしたちの世界は発狂する。アフガン人の結婚祝賀会、その5つが地球の表面から抹消されても、肩をすくめるのさえわずらわしい。

では、ここで質問。わたしたちの知らないこと(または知るつもりのないこと)が、わたしたちを傷つけるだろうか? イエスとノーのどちらの方が、より気落ちする答えであるか、わたしには判然としない。たまたまだが、いずれにしろわたしはその質問の答えを持ち合わせていない。あるのは、ちょっとした忠言のみである――それも、わたしたちに向けたものではなく、アフガン人に向けたものだ。マックリスタル将軍や他の軍最高幹部が言うように、アフガン戦争とそれが国境を越えてパキスタンに飛び火する戦争とが、さらに3年、4年、5年、あるいはもっと長く続くとすれば、わが国がどのような筋書きでやろうとも、わが国がなにを言おうとも、うそ偽りなく、われわれは航空機のなかでわめくことになる。だから、わたしがあなた方なら、金輪際、集団としては、公然の場では、結婚を祝うつもりがないし、わたしの死者を、非常に、非常に密かに埋葬する。

あなた方が集合すれば、結局、われわれが登場する。

〔筆者〕トム・エンゲルハートは、アメリカ帝国プロジェクトの共同創設者、ネーション研究所度無ディスパッチ・コムの主催者。冷戦およびその後の歴史を扱うThe End of Victory Culture〔日〕、小説The Last Days of Publishing〔日〕の著者。狂気のブッシュ時代の反体制的な歴史書The World According to TomDispatch: America in the New Age of Empire〔日〕(Verso, 2008)の編者。

(注:わたしは、"The Wedding Crashers: A Short Till-Death-Do-Us-Part History of Bush's Wars" (20087)において、過去のアフガンの結婚式殺戮について、できるだけ総括的に書いている。もっとお読みになりたいなら、トム・ディスパッチに次のような関連記事がある――"Slaughter, Lies, and Video in Afghanistan" (20089), "What Price Slaughter?" (20075), "The Billion-Dollar Gravestone" (20065), "Catch 2,200: 9 Propositions on the U.S. Air War for Terror" (20065)、および元米国外交官ジョン・ブラウンの"Our Indian Wars Are Not Over Yet"(January 2006)。映画製作者ロバート・グリーンウォルドのウエブサイトRethink Afghanistanもどうぞ)

原文: Tomgram: Are Afgan Lives Worth Anything

Copyright 2009 Tom Engelhardt

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