2014年4月26日土曜日

ティク・ナット・ハン「私の本当の名前を呼んでください」

ティク・ナット・ハン
『微笑を生きる――<気づき>の瞑想と実践』
PEACE IS EVERY STEP: The Path of Mindfulness in Everyday Life
訳・池田久代
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「私の本当の名前を呼んでください」

私が明日発つと言わないで
なぜって いま 
もうすでにここに着いているから

深く見つめてごらんなさい 
私はいつもここにいる
春の小枝の芽になって
新しい巣で囀りはじめた
まだ翼の生え揃わない小鳥
花のなかにうごめく青虫
そして石のなかに隠れた宝石となって

私はいまでもここにいる
笑ったり泣いたり
恐れたり喜んだりするために
私の心臓の鼓動は生きてあるすべてのものの
生と死を刻んでいる

私は川面で変身するかげろう
そして春になると
かげろうを食べにくる小鳥

私は透きとおった池で嬉しそうに泳ぐ蛙
そして静かに忍び寄り 
蛙をひと飲みにする草蛇

私はウガンダの骨と皮になった子ども
私の脚は細い竹のよう
そして私は武器商人 
ウガンダに武器を売りに行く

私は12歳の少女
小さな船の難民で
海賊に襲われて
海に身を投げた少女
そして私は海賊で
まだよく見ることも
愛することも知らぬ者

私はこの両腕に大いなる力を持つ権力者
そして私は彼の「血の負債」を払うべく
強制収容所でしずかに死んでゆく者

私の喜びは春のよう
とても温かくて
生きとし生けるものの
いのちを花ひらかせる

私の苦しみは涙の川のよう
溢れるように湧いては流れ
四つの海を満たしている

私を本当の名前で呼んでください
すべての叫びとすべての笑い声が
同時にこの耳にとどくように
喜びと悲しみが
ひとつのすがたでこの瞳に映るように

私を本当の名前で呼んでください
私が目ざめ
こころの扉のその奥の

慈悲の扉がひらかれるように

2014年4月22日火曜日

【追悼】 ボブ・ディランの歌にのせて…ルビン・“ハリケーン”・カーターさん






kerasole
公開日: 2014/01/30
ルビン・“ハリケーン”・カーター(193766日生)はアメリカのミドル級ボクサー。
1966年、警察がカーターをニュージャージー州パターソンのラファイエット・バー=グリルにおける三重殺人の容疑で逮捕した。警察はカーターの車を止め、彼ともう一人の同乗者、ジョン・アーティスを犯罪現場に引き立てた。物的証拠はほとんどなかった。警察は犯行現場で指紋を採取せず、銃撃残滓のパラフィン検査を実施する設備にも欠いていた。カーターまたはアーティスを銃撃者とする目撃証人もいなかった。カーターとアーティスは殺人容疑で公判と有罪判決を二度(1967年と1976年)受けたが、1985年に第二審有罪判決が覆ったあと、検察は第三審に持ちこむのを断念した。
カーターの物語は、1975年、ボブ・ディランの歌「ハリケーン」になった。カーターは1993年から2005年まで冤罪被害者防衛協会の常任理事を務めた。
カテゴリ:映画とアニメ ライセンス:標準の YouTube ライセンス 
Bob Dylan – Hurricane
ボブ・ディラン「ハリケーン」
Pistols shots ring out in the barroom night
Enter Patty Valentine from the upper hall
She sees the bartender in a pool of blood
Cries out "My God they killed them all"
Here comes the story of the Hurricane
The man the authorities came to blame
For something that he never done
Put him in a prison cell but one time he could-a been
The champion of the world.

酒場の夜、銃声が鳴り響く
パティ・ヴァレンタインがホールから降りてきて
血の海に横たわるバーテンダーを見つける
「神さま、皆殺しだわ」
これがハリケーンの物語の始まりだ
お偉さんたちが責めたてるが
なにもやっちゃいない男
独房に閉じこめられたが
かつては世界チャンピオンになれた男

Three bodies lying there does Patty see
And another man named Bello moving around mysteriously
"I didn't do it" he says and he throws up his hands
"I was only robbing the register I hope you understand
I saw them leaving" he says and he stops
"One of us had better call up the cops"
And so Patty calls the cops
And they arrive on the scene with their red lights flashing
In the hot New Jersey night.

死体が3つ、横たわっているのをパティは見た
もう一人の男、ベロが不可解な動きを見せていた
「オレはやっちゃあいない」と両手を上げる
「レジスターを漁っていただけだ。わかってくれよ」
「奴らがずらかるのを見た」といって立ち止まる
「お巡りを呼んだほうがいいんじゃないか」
そこでパティは警官を呼ぶ
赤色灯を点滅させながら警官たちが到着する
ニュージャージーの熱い夜

Meanwhile far away in another part of town
Rubin Carter and a couple of friends are driving around
Number one contender for the middleweight crown
Had no idea what kinda shit was about to go down
When a cop pulled him over to the side of the road
Just like the time before and the time before that
In Patterson that's just the way things go
If you're black you might as well not shown up on the street
'Less you wanna draw the heat.

一方、町の遠く離れた別の場所
ルビン・カーターと二人の友だちが車を乗り回していた
ミドル級チャンピオンのナンバー・ワン挑戦者は
これから始まるたわごとのことなんか、知っちゃいなかった
警官が道の脇に彼を引っ張ったが
前もそうだった。その前もそうだった。
パターソンでは、いつもこういうやり口
黒人なら、通りに姿を見せない方がいい
暑さを冷ましたければ、別だが

Four months later the ghettos are in flame
Rubin's in South America fighting for his name
While Arthur Dexter Bradley's still in the robbery game
And the cops are putting the screws to him looking for somebody to blame
"Remember that murder that happened in a bar ?"
"Remember you said you saw the getaway car?"
"You think you'd like to play ball with the law ?"
"Think it might-a been that fighter you saw running that night ?"
"Don't forget that you are white".

4か月後、ゲットーは炎に包まれている
アメリカ南部のルビンは彼の名のために戦っている
一方、アーサー・デクスター・ブラッドリーは盗みを重ねている
警官らは容疑者を求めてブラッドリーを締め上げる
「バーで起こった殺人を目撃したと覚えているだろ?」
「ずらかる車を見たといったのを覚えているだろ?」
「法律を相手に遊びたいって、思っているのか?」
「あの夜、あのファイターが走っていったかもと考えているんだろ?」
「君が白人だってこと、忘れるな」

Arthur Dexter Bradley said "I'm really not sure"
Cops said "A boy like you could use a break
We got you for the motel job and we're talking to your friend Bello
Now you don't wanta have to go back to jail be a nice fellow
You'll be doing society a favor
That sonofabitch is brave and getting braver
We want to put his ass in stir
We want to pin this triple murder on him
He ain't no Gentleman Jim".

アーサー・デクスター・ブラッドリーは「はっきりしないんだ」といった
警官らはいった――「君のような子には格好のチャンスなんだ
君がモーテルで仕事したのを掴んでいるし、友だちのベロに聞いている
監獄に戻りたくないだろ、いい子になれ
世の中のお役に立つのだ
あのクソッタレは出過ぎているし、もっと派手にやろうとしている
やつをメチャクチャにしてやりたいのだ
三重殺人犯に仕立てたいのだ
やつは紳士なんかじゃない」

All of Rubin's cards were marked in advance
The trial was a pig-circus he never had a chance
The judge made Rubin's witnesses drunkards from the slums
To the white folks who watched he was a revolutionary bum
And to the black folks he was just a crazy nigger
No one doubted that he pulled the trigger
And though they could not produce the gun
The DA said he was the one who did the deed
And the all-white jury agreed.

ルビンの持ち札はお見通し
公判は茶番劇で、ルビンに勝ち目はない
判事はルビン側証人をスラムの呑んだくれと決めつけ
傍聴席の白人に向かって、彼は革命かぶれのチンピラ
傍聴席の黒人に向かって、彼はただのいかれたニガー
彼が引き金を引いたとだれも疑わず
銃器を提出することはできなかったが
検事は彼が実行犯と決めつけ
白人ばかりの陪審団はうなずく


Now all the criminals in their coats and their ties
Are free to drink martinis and watch the sun rise
While Rubin sits like Buddha in a ten-foot cell
An innocent man in a living hell
That's the story of the Hurricane
But it won't be over till they clear his name
And give him back the time he's done
Put him in a prison cell but one time he could-a been
The champion of the world.

コートとネクタイ着用の罪人たちは
自由気ままにマティーニを飲み、日の出を見つめる
ルビンは10フィートの独房で仏陀のように座る
この世の地獄にいる無実の人間
それがハリケーンの物語
彼の名を晴らすまで、物語は終わらない
彼の失った時間を取り戻そう
独房に閉じ込めたが
世界チャンピオンになりえた男

2014年1月31日金曜日

【追悼】ピート・シーガー「ぼくの河は汚れちまっている」~スループ帆船クリアウォーター

grist: A BEACON IN THE SMOGGrist – A Beacon In The Smog
Grist – A Beacon In The Smog





「ぼくの河は汚れちまっている」
汚染に対処したピート・シーガーの遺産

“My Dirty Stream”: Pete Seeger’s anti-pollution legacy
――ミシェル・ニジュイス Michelle Nijhuis
Cross-posted from Last Word on Nothing
ここ何日間か、みなさんはピート・シーガーの歌をたっぷりお聞きになったのではないでしょうか。無理もないことです。シーガーは月曜日に亡くなりましたが、とても長く歌い継がれるに値する、美しくも図太い、忘れがたい歌を遺したのですから。でも、わたしにとって――そして、シーガーがハドソン川沿いに土地を所有していたあいだ、そこで育った何百万もの子どもたちにとっても――遺されたものは、歌でなく、物語でした。
そのお話を語ってみましょう。
ピートと彼の妻トシがニューヨーク州ビーコンの土地を購入した当時、遠隔の町、ビーコンに移り住むのは、かっこいいことではありませんでした。ハドソン川沿いの町々は数十年も前から衰退しており、暮らしにくい、ちっぽけな在所でした――そしていまだに、多くの意味で同様です。多くの死亡記事が、シーガー家が移り住んだとき、ハドソン川は汚れていたと伝えています。とにかく不潔でした。およそだれでも、下水、ゴミ、ありとあらゆる不愉快な産業廃棄物など、およそなんでも川に捨てており、許可も要りませんでした。バクテリアが大量の酸素を消費しましたので、時どき、魚が水中で窒息しました。マンハッタンから25マイルほど北のタリータウンの近辺では、川の水が地元のゼネラル・モーターズが採用する塗料の色に合わせて変色していました。自分の健康が大事なら、魚を釣らず、自分の命が大事なら泳がないというありさまでした。
そこで、ピートは大きな木造船を発注しました。最初、およそ誰にも合点のいかないことでした。だが、ピートは、優美で古風な船――1819世紀に川を帆走していたスループ型帆船のレプリカ――が、人びとを忘れられていた川岸に引き寄せ、人びとが川岸でハドソン川の別な未来に思いを馳せることができるだろうと考えていました。
106フィート長のハドソン川スループ、クリアウォーター(Clearwater)は、1969年の春、メイン州の造船所を出帆し、南のニューヨーク市に回航され、次いで――バクテリア濃度が安全レベルの170倍に達する河川域――ハドソン川の活動域へと北上しました。
背高マストのスループは無視しがたく、しかもピートがバンジョーを持って乗り組んでいました。じっさいに人びとは衰退した川岸にやって来て、声を上げはじめ、ピートとその仲間たちがハドソン川の嘆かわしい状態に引きつけた注目が一助となって、ついには1972年連邦水質汚染防止法の成立につながりました(議会が同法案を議論していたとき――役だったかどうかはともかく――ピートはスループ帆船クリアウォーターをワシントンDCに回航し、議会のホールで即席のコンサートを開いて、彼の主張を訴えました)。水質汚染防止法が投棄を規制し、下水処理に投資し、ハドソン川は少しずつきれいになりました。バクテリアと汚染物質のレベルは下がりました。魚類が戻り、ゆっくりと健康になっていきました。
スループ帆船は航行しつづけ、ピートは演奏しつづけ、1970年代と80年代、わたしがハドソン渓谷で子どもだったころ、スループ帆船クリアウォーターとその主を避けることはおよそ不可能になっていました。ピートはたいがいのセレブのようには引きこもらず、教室やお祭りで、あるいはその合間にどこでも演奏していました。わたしと同世代のハドソン渓谷の子どもたちはたいがい、階級や人種を問わず、また親たちの政治党派を問わず、いつかどこかでピートのバンジョーの音を聞き、そのほとんどがスループ帆船クリアウォーターの甲板上を歩きまわりました。船は定期的に川を上り下り帆走していましたが、圧巻は10月の航行であり、そのとき、カボチャをどっさり積み上げ、川岸で販売していました。わたしら子どもたちが音楽を聞いたり船を見かけたりすると決まって、その物語を聞いたものです。
汚れきった川でしたが、いまはずっときれいになっています。間違いが正されています。不可能が、可能になっています。
1980年代末、わたしが高校乗り組みチームの操舵手を務めたころ、川は実習後に泳げるほどにきれいになっていました。わたしが育った土地に近接した川岸地区、ポキプシーは人も多くなく、魅力もありませんでしたが、もはや避けるべき土地ではなくなっていました。
それでも、ピートは活動をつづけました。1990年代と2000年代、彼の声がしわがれ、弱々しくなると、周りに学童たちを集めて歌わせ、演奏をつづけました。彼は、ハドソン川のPCB類、その他の残存汚染物質を浄化するために戦いました。彼は、享年94歳で亡くなったとき、1900年代にマンハッタンの沖合に浮かんでいた水泳用木造プラットフォームを想起させるビーコン川岸の河川プールを建造する提案を先導していました。2004年、彼はハドソン川について「わたしは、きれいになっても、まだ道半ばですといつも人にいっています」と語りました。
不可能だったことが、可能になりました。そして、この仕事に終わりはありません。
【筆者】
ミシェル・ニジュイスは受賞歴のあるジャーナリストで母親、コロラド州西部で科学と環境について執筆。Follow her on Twitter.
【ウィキペディア参照記事】
ピート・シーガー(英語: Pete Seeger191953 - 2014127日)はアメリカ合衆国のフォーク歌手である。20世紀半ばのフォーク・リバイバル運動の中心人物の一人である。
環境問題
シーガーは、1966年に環境保護団体“Hudson River Sloop Clearwater”の創設に参加して以来、この組織に長く関わっている。この組織は当時からハドソン川の水質汚染を取り上げて、その改善に取り組んできた。その取り組みの一環として、帆船(スループ)「クリアウォーター(Clearwater)」が1969年に建造され、処女航海ではメイン州からニューヨーク市のサイス・ストリート・シーポート博物館 (South Street Seaport Museum) へと回航し、そこからハドソン川を遡上した。この処女航海の乗組員の一人だったドン・マクリーンは、トマス・B・アレン (Thomas B. Allen) のスケッチを収録した「Songs and Sketches of the First Clearwater Crew」という本を仲間と編集したが、シーガーはこの本に序文を寄せている。シーガーとマクリーンは、1974年のアルバム『Clearwater』の「Shenandoah」で共演している。帆船「クリアウォーター」は、ボランティアやプロフェッショナルな船員が乗り込んで、ハドソン川を定期的に航行し、主に学校を対象とした環境教育プログラムを実施している。
「グレート・ハドソン・リバー・リバイバル (Great Hudson River Revival)」、通称「クリアウォーター」は、ハドソン川に面したクロトン・ポイント公園で毎年開催される2日間の音楽祭である。これはもともと、シーガーと仲間たちが「クリアウォーター」を建造するための資金を集めるために行ったコンサートがきっかけで始まったものである。
1969年にシーガーは、当時汚染されていたハドソン川のことを歌った「That Lonesome Valley」を作って演奏したが、彼のバンドのメンバーたちも「クリアウォーター」を記念する曲をいろいろ作り、演奏した。
【YouTube 参照映像】